当ブログにてしばしば言及していたFIREについて、とうとう踏み切る時となりました。
ブログ開設からの経緯も色々とあります。
この記事では、FIREの実現に至り頭に浮かぶあれこれを、雑多に書いていきます。
なおFIREを達成して「嬉々とした内容を綴る」とはなりませんので、あらかじめここでことわっておきます。
思いは複雑
まずFIREをして「気分爽快、新しい人生がこれから始まるぞ」という清々しさは、私の場合は正直感じていません。
なぜなら、もともとFIREを最大の目標として働いてきたわけではないからです。
サラリーマンをやめて酪農業の世界に足を踏み入れた時は、間違いなく「これでしっかり身を立てていくぞ」という覚悟を持っていました。
そうでありながらやめるわけですから、当然悔いがないといえば嘘になります。
結果を見れば酪農の世界から去っていくわけで、そのような覚悟があったようには見えないかもしれません。
ですが覚悟がなければ酪農の仕事、ことに将来の経営者である酪農後継者となることは無理です。小さい頃から酪農業がどんな現場であるかを見てきたからこそ、そのように考えていました。
とはいえ自分の場合はここが限界だった。心からそう思っています。一線を越えてなお踏ん張ろうとしていたら二度と取り戻せない色々なものが壊れていたでしょう。
今の時点で、既にいくつか修復が難しくなったものがあります。
結果的に私にはFIREという道しか残されていなかった、というのが自分の認識です。
ブログ開設時は葛藤の時期だった
当ブログを開設した頃が、まさに自分の中でのどん底を這っていた時期でした。
何かをせずにはいられない”負の気持ちから生まれるエネルギー”によって動いていたと思います。
自分の気持ちや考えを整理することも、ブログを始めた動機の一つです。
もちろんコロナ禍で世界が変わっていく中、変わらない酪農業の中にいて、変化に取り残される恐怖があったこともあるでしょう。
そうして記事作成の熱量に波がある中続けてきた当ブログですが、今回のFIREが一つの節目になろうかと思います。
当面は雑記ブログとしてのんびりと続けていきつつ、過去の記事の手直しなどを少しずつしようかと考えています。
ギリギリでのFIRE
FIREの状態についてです。
私の場合は日本版FIREの先駆けである穂高唯希さん(元三菱サラリーマンさん)のスタイルにならって、
受取配当金>基礎生活費
の状態を目指して高配当株投資をしてきました。
具体的には「税引後で月平均20万円の配当金を得られる状態」ですね。
結果的にほぼほぼこの水準(実績ベースではなく見込みベース)となりました。
実のところ、仕事に対するメンタル面が先に限界を迎え、FIREができる状態なのか否か分かっていない状態で牧場を去ることになりました。
それから金融資産を精査して投資余力をはっきりさせ、一部を残しまとめて投資をした結果、概ね目指していた水準になっていたという感じです。
本当にギリギリでした。
ですがもし不足していたら、基礎生活費の方を多少の無理をしてでも削っていただろうと思います。
就農の後悔はない
FIREをした今でも、酪農業へ入ったことについては後悔していません。
自分なりに時間をかけて考え、納得した上で就農していたからです。
過去の自分を無理に否定する必要もないでしょう。
当然、働いていた時も、メンタルがどん底であった時も、就農したことそのものを悔やんだことは一度もありませんでした。
他人は変えられない
他人は変えられない。
酪農生活で学んだというか突き付けられた一番の事実がこれでした。
その人が変わりたいとそもそも思っていないからですね。
変わる必要がなければ人は変わりません。
その相手がどうでもいい他人ではなく、どうしても変わってほしい人であった時が最も苦しいですね。
無理を続ければどちらかが壊れます。
著名な投資家の発信内容や、評価の高い本などで「他人は変えられない。自分が変わった方が早い」ということはしばしば目にしていましたが、どこか他人事で、頭に残っていませんでした。
今ならよくわかります。
離農のきっかけは不満ではなく諦め
牧場を去ることになった時は「不満や怒りが頂点に達して」ということではありませんでした。
その状態はずっと前に長期に渡って続いていたからです。
その状態もあまりに長く続くと、不満や怒りは沈殿していき、やがて虚無感でいっぱいになってきます。
そんな折に、ふとしたきっかけで一分の隙もない100%の諦めが訪れました。
ふっと体から力が抜けてしまい、「もう無理か」という言葉が、自然と自分の中から湧いてきたことを今でもよく覚えています。
逆にいうと、それまで何年もずっと自分の体がこわばっていました。
人生の時間を何に使うか
FIREに舵を切って感じることは、人生の時間を何に使うか、これが生活の根幹ではないかということです。
以前は時間よりもお金が大切だと思っていました。
お金は取り戻せるけど、時間は取り戻せない。そんなこともよく見聞きしますが、全く自分のこととしては考えていませんでした。
ですが今は時間とお金に対して序列をつけるのであれば、「お金は時間に劣後する」ということをはっきりといえます。
私の好きな本、エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』で、「資本主義社会では人が自分自身をモノとして扱い、資本の蓄積に邁進してしまう」ということが書かれていたと思います。
まさしくその通りだなと実感しています。
人的資本という言葉が今や当たり前に使われますが、フロムの指摘を体現してしまっている言葉ではないでしょうか。
セネカの『生の短さについて』で説かれているとおり、自分の人生の時間を何に使う方が真に豊かな人生を送れるのか、あらためて考える時なのかもしれません。
酪農は魅力ある仕事だと今でも思う
酪農業については、今でも一定の魅力がある仕事だと思っています。
個々の経営の巧拙、価値観の変化、アニマルウェルフェアなど、多くの課題を抱えている業界ですから、全力で肯定できるわけではありません。
ですがやり方次第で、地域、従業員、牛、社会、家族、とそれぞれを豊かにできるポテンシャルは本来十分に持っている業界だというのが私の認識です。
もちろんそうした理想的な経営がなされている牧場は、現状では本当にごく一部しかありません。
私の思う酪農の今後
私が予想する今後の酪農業界(10年、20年先)は、これまでもブログに書いていたことがありますが
- 酪農仕事が趣味化している家族経営の牧場
- 時代や価値観の変化に合わせて動き始めている法人経営の牧場
に二極化していくだろうということです。
核となる問題は、労働力の確保です。
酪農がもはや趣味だという家族経営であれば、外から人を雇い入れる必要がないため、当面は事業の存続が可能でしょう。ですがそれも代替わりのタイミングで徐々に減っていくと思います。後継者がその他多くの仕事と牧場を天秤にかけて、それでもなお牧場が選ばれる可能性はなくはないですが、高くはないと考えるからです。
一方、ちゃんと経営を考えられる経営者が運営する大規模牧場では、時代の変化に合わせて自らも変わっていくことで、事業の存続、発展がなされていくでしょう。
人が多ければシフトを組んで、みながしっかりと休みを確保できる点は重要です。
大きなポイントは
- 週休3日制や高い給与水準、キャリア形成の支援など他業種と遜色ない待遇
- なぜ酪農業で、その牧場で働くと良いのか、その意味と意義を明確に提供できるもしくは共感してもらえること
の2つだと思います。
従業員として働いている人が、学生時代の友人との会話や、ニュースやSNSで
- 賃金のアップ
- 週休2日制からの変化
- フルリモートの導入
といった内容を聞くことが日常的に繰り返されている現在、そしてこれから。
「自分がこの業界、この牧場で働いている意味は、これから働く意味はいったい何だろう」
このように考えるのは至極当然のことです。
この問いに何度も耐えうる牧場のみが残っていくと思います。
転機となる要因は、労働供給量の減少ですね。
人手不足となってきたことで、ようやく働き手の側が企業を選べるようになってきました。
これまで働き手のもつ選択肢の少なさに甘えた牧場などが、いよいよ人手の確保ができなくなっていくでしょう。
日本人従業員を雇用できずに外国人技能実習生に頼ってきた牧場でも、昨今の円の価値下落で、日本が選ばれにくい環境が続いてきたことで危機感が高まっています。
こうした変化は酪農業界の健全化につながる望ましいものだと思います。
先ほど別の部分で書いたことに近いですが、必要に迫られないと、人(ここでは経営者や業界)は変わらないからです。
不健全な経営がなされている牧場では、家族も、従業員も、牛も不幸になります。
酪農業界が淘汰圧にさらされることで、健全な経営がなされる牧場が残り、発展していくことを期待しています。
経営者の有無が事業存続の分水嶺に
生き残る牧場と淘汰される牧場。
その分水嶺となるのが、経営者の有無だと考えています。
農家体質・気質のまま人を雇っている経営者ではなく、経営とは何かを考えられている経営者のことです。
私が知る限り、現状多くの牧場の代表者は前者です。
それゆえに一般企業の勤務経験者からすると信じられないような、昔ながらの悪しき気質・体質が業界関係者(酪農関連団体、行政、関連産業など)を含め、まかり通ってきた現実があります。
これからの社会、人、酪農業界の立場など、常に変わっていくものを捉え、その中で自分の酪農牧場がどういう役目を果たすべきか。
そうした視点を持った経営者が生き残っていくことになると思います。
酪農後継者への思い
私が酪農生活で感じたすべてはこちらの記事にまとめています。酪農後継者という難しい立場にいる人が、一人でも多く、幸福に人生を歩んでいくことを切に願っています。
投資という道があって良かった
私の場合、株式投資という選択肢があって心底よかったと実感しています。
もし投資を知らずに、取り組んでこないままに酪農業をやめることになっていたら、と思うと恐ろしくもなります。
実際そうなっていたら、通常の転職活動をしていたのでしょう。
数か月前にミイダスという転職サービスの市場価値診断を受けた時は、900万円前後という数字が出ていました。牧場での経験だけでなく、前職のサラリーマンの経歴が評価されての数値だと思います。第三者的な立場で提供されている診断サービスではないでしょうから、真に受けることはもちろんできませんが。
しかし牧場をやめてすぐに転職活動ができるかといわれれば、私の場合は無理でした。
精魂尽き果ててしまっていたからです。
ですから投資をしてきて、その中でも「どうしても」という時にFIREという選択肢がとれるよう高配当株投資をしてきて、本当に良かったと思います。
私が真剣に株式投資に向き合ったのは、酪農でどん底の時です。
それまでも酪農で得た収入をどうすべきか、資産運用をいつか学ばなくてはと思いながらも、後回しにし続けていました。
しかしどん底に落ちたことで、「何か将来に希望が持てるようなものに取り組まなければ」という危機感が生じ、幸いその時に知ることができたFIREという概念、方法論について遮二無二学びました。
今にして思えばやはり必要に迫られたからこそ、自分も動いたのだと思います。
4%ルールではFIREできなかった
FIREの方法論の1つ、いわゆる4%ルールですが、現実的にFIREへ舵を切った今どう思うか。
私の場合は、4%ルールではFIREできなかったと思います。
理由は、本当に資産が持続するのか不安に耐えられなくなるだろうことが、現時点でも容易に想像できるからです。
もちろん高配当株投資よりも、インデックス投資に絞って投資し続けていた方が、退職時点の金融資産は大きかったと思います。
ですがそれでFIREできるか、するか、と聞かれればやはりNOです。
- 投資口数を減らしていくことの心理的負荷
- 4%ルールはあくまで過去データでの検証であり、未来を保証しない
- より堅実に2%ルールや3%ルールに自分なりに決めたとしても同じ感想を抱きそう
これらがどうしても重荷になります。
この重荷を背負った状態ではFIRE生活を心穏やかに過ごすことができません。
私の中ではという条件付きですが、4%ルールは「理論と実践」のあくまで理論。実践に耐えうる方法論ではない気がします。
なお配当収入で生活することに関しては、今のところ恐怖心や不安はほとんどありません。
ぼんやりと対処を考えておきたいのは
- 金融増税
- リーマンショックを凌駕する金融危機、世界恐慌
- 株主資本主義の是正(ステークホルダー資本主義への転換)
- 日本の国際的地位や治安、円の信認などの大幅な悪化
といったトピックについてです。
時間はあるので、ゆっくり考えつつ、できることに少しずつ着手していきたいと考えています。
人の働きかけには誠実に向き合いたい
FIRE後には、人から受ける何かしらの働きかけには誠実に向き合いたいと考えています。
牧場で仕事をしていた時はとにかく時間に追われ、常に気が張ってピリピリしていました。
休日でさえ、残りの休み時間があとどれだけか、ちらちらと時計を見ては気にしていたほどです。
車で外出した時は、少しでも移動時間が短くなるように細い裏道などにわざわざ入ったりもしていました。
そのような生活をしていると、どうしても余裕がなく、人に対して優しくなれません。
牧場を去ることとなり、時間と気持ちに数年ぶりにゆとりが出始めたこの頃、「なんであの時、あの人にあんな対応をしてしまっていたのか…。申し訳ないことをしていた」と思うことがいくつも浮かんできます。
FIREをしてからは関わる人に対してできる限り誠実に向き合いたいです。それには私が牧場で激しくぶつかった不誠実(あくまで私の主観です)への反骨心もあります。
はじめの方にも書きましたが、これからの自分の人生の時間をどう使うか。意味や意義を感じられない行為や不誠実な人へは使いません。
そうした選択肢を持てる自由をつかんだことが、FIREの恩恵の一つでもあります。
今後の展望
FIREをしてこれからどうするか、です。
当面はゆっくりします。
私の場合、「○○をしたいからFIREしたい」というFIREの目指し方をしてきませんでした。
いろいろなところで「目的なきFIREはやめたほうがいい」、「仕事からの逃避でFIREを目指すなんてどうかしてる」という言論をよく目にします。
ですが、それでいっこうに構わないじゃないか、というのが私の考えです。
結局自分の人生を生きられるのは自分しかいません。
他人が責任を取ってくれるわけでもなし。
人がとやかくいうことではないのです。
現に、私はFIREをして心からよかったと思っています。
これで穏やかに暮らせるからです。
近年は、憤りや憎しみという負の感情を抱え込んだままに仕事や私生活を送ってきました。
そうしたものを手放したうえで、ゆっくりと本を読んだり、好きな時間に好きなだけ寝るような生活をします。
またこれまで私の仕事の変化に合わせて生活を変えてくれていた妻へ、恩返しをする時間にもしたいです。
なお、旅行三昧や映画をたくさん観るといった「FIREを知った人が最初に思い浮かべそうな理想的生活」については、FIREが現実のものとなった今では「たしかにすぐに飽きてしまうだろうな」と思います。
旅行は非日常だから良いのであって、日常になったら情熱も資金ももたないからです。映画やドラマも人にはよるでしょうが、1カ月もあればもう観たいものはなくなってしまうのではないでしょうか。
とはいいながらも、いずれにしろFIREの本質は自由です。
そんな生活に飽きてしまったら、別の何かをそこから探し出すのもいいでしょうし、人と働くことの良さを再認識して再就職する、なんていうのもそれはそれでいいと思います。
FIREを目指すことそれ自体には、私は大いに賛成です。