FIRE後の気が向いた時に作成する雑記記事です。
この雑記ブログのテーマである
- 酪農
- 株式投資
- 日本酒
に関する近況や、FIRE生活について思うことをつらつらと書いていきます。
酪農
関係者からお話を聞いていると、酪農業界もじわじわと変化していっているようですね。
前例踏襲、昭和の気風がそのままに残っていた酪農業界にも「いよいよそのタイミングが来たか」と、今ではもはや第三者としてですが眺めています。
最近聞いていて印象的な点は次の2つです。
- 酪農の比重低下
- 周辺業者の利益先食い
❶酪農の比重低下
各経営体で酪農に割くリソースを減らしているケースが目立ちます。
具体的には、次のようなものです。
- 3回搾乳をしていた牧場が2回搾乳に切り替え
- 酪農部門と肥育部門(F1や和牛)の両方をやっていた牧場が酪農部門をやめ、肉用牛に事業を一本化
どちらも根底にあるのは「人手不足&搾乳作業の負担軽減ないし離脱」。
なかなか人を採用したり、定着させたりするのが難しい中で、どのように時代の要請(労働時間の短縮や休日の増加)に応えるか苦心しているようです。
経営者が自身の働き方ひいては生き方を考える上で、酪農作業の負担から解放されることを望み、肉用牛に一本化するケースも。
私は酪農業界があらゆる面で内部から変化することは難しいだろうと考えていました。そして今、ちょうど業界を取り巻く環境の変化(資料や資材の高騰、深刻な人手不足、人生観や仕事観の変化)が酪農業に強いプレッシャーを与えるようになっており、そこを起点に変化が始まっているようです。
個々の牧場に注目すれば、そこには地道に働き、家族を養う糧を得ようとしている人々がいるため、この状況がいいとは考えにくいでしょう。ですが一方で、酪農業界全体を見る視点に立てば、今のこの変化こそが業界を健全化していくものと思います。
❷周辺業者の利益先食い
酪農牧場を取り巻く周辺業者の状況は近視眼的になっているように見えます。
次のような関係者です。
- (一部の)機械類の販売業者
- (一部の)資材の販売業者
- (一部の)修理業者
- (一部の)獣医師
- (一部の)農協
シンプルに利幅をとり過ぎということです。
- なあなあの関係性
- 市場が寡占化している状況
これらを利用して、”競争原理が機能している一般的な業界”から見ると異常な請求をしているケースが散見されます。地域にもよるとは思いますが、少なくとも私のいた地域ではそれなりの業者がこのような状態でしたね。
業者から見れば「酪農牧場には請求すれば何だかんだでどこかからお金が出てきて払ってくれる。それに自分たち以外の業者に替えるのも大変だろう」と思ってしまうのでしょう。
しかしこれがそうでもないわけです。
これらの支払い負担が重く、赤字になって廃業するケースがあるのはもちろん。それだけでなく、この状態が「経営者や後継者が将来を考えるときの強いネガティブ材料」になっています。異様に高い修理費や診療費を前提に自農場の将来を考えると、離農や酪農からの転向を考えやすくなるのです。
酪農周辺業者の「とれる時に利益をどんどんとってしまえ」。この近視眼的な姿勢は利益の先食いにすぎず、確実に、着実に酪農牧場を圧迫しています。そして現にこれらを要因として廃業している牧場や、業種を転向する牧場が出ています。
将来の自分たちの顧客を自らの手で減らしていっている。このことに周辺業者が早く気づくことを願うばかりです。
気鋭の牧場の中には、こうした業者への憤りが蓄積した結果、「修理や治療の内製化、仕入れ・販売ルートの多様化」へ舵を切っているところが実際に出てきています。
株式投資
高配当株の入れ替え
主にやっていることは銘柄の入れ替えです。
以下のような銘柄を売却して、別の高配当株を買ったりしています。
- 投資はしたもののパッとせず、あらためて保有する意義を見出せない高配当株
- 株価が高騰して配当利回りが3.00%を切った銘柄
前者は例えばクミアイ化学。後者はAVGO(ブロードコム)、青山財産ネットワークスなど。
AVGOは半分売却。青山財産ネットワークスはごく一部を売却したのみで、大部分は配当利回りが低くなった今も継続保有の方針です。自分の中では投資を決めた時から変わらず、今も「NISA枠で長期で持ちたいと思える優良銘柄」だからです。
相場に向き合う頻度と最近思うこと
相場は毎日チェックしますが、習慣化しているだけであまり意味はありません。頭ではわかっているのですが、ついつい見てしまいますね。
最近では日本の高配当株でもかなりの数をウォッチするようになりました。150銘柄以上を毎日チェックし、そのうちのある程度の銘柄は実際に保有しています。そうこうしている間に思ってきたのが、こんなことです。
「それなりの保有銘柄数になって分散が図れていれば、血眼になって銘柄選定にこだわる意味は薄くなってくるのでは?」
今は日本の高配当株ポートフォリオで小型株から大型株まで様々に保有しており、業種もばらけています。ここからさらに多くの銘柄を追加していったところで、時間が取られるばかりでパフォーマンスに大した差は出ないのではないかと感じています。
具体例を挙げていくと、最近ウォッチリストに追加したのが
- オルバヘルスケア
- 澁澤倉庫
- 三菱食品
- ジョイフル本田
- 橋本総業
- 田辺工業
- 高千穂交易
- Denkei
などなど。「選択肢として知っておいて良いかも」と考えてウォッチリストに追加していくわけですが、一方で「これらのどれに投資したところで、今の分散投資の状況ならあまりパフォーマンスは変わらないのでは」とも思ってしまうのです。
怠慢というか自分の投資手法のマンネリ化からくる感覚なのかもしれません。
私はあの分厚い会社四季報を買ったことがないのですが、一度買って「全銘柄チェックしてお宝銘柄を探す」といったことをした方が刺激があるのか?と考えることがあります。
FIRE後の今、あらためてJEPIやJEPQでのFIREは自分にはできないと実感
このブログでよく読まれている記事が以下のものです。
米国の超高分配ETF”JEPI”をメインとしたFIREはどうか?というテーマの記事です。保有者としの実感を交えて解説していますが、結論「JEPIでのFIREはおすすめできない」としています。
FIREをしてしばらく経った今、あらためて「このJEPIや類似のJEPQに頼ったFIREはどうか?」ということを考えてみると、「やはり自分にはこの高リスクは負えない」ということになります。
大きい点でいえばこの2点。
- インフレの実感が強烈な今、分配金の成長が期待しづらい投資先をメインに据えるのは怖い
- 株価の上昇力が強くなく、投資タイミングを間違えるとかなり厳しい
FIRE生活にゆとりをもたらす「トッピング」としての保有は良いと思いますが、それでもあくまでサテライトでの投資が大前提です。実際に私は今もJEPIとJEPQのどちらも保有していますが、ポートフォリオに占める割合はかなり小さめ。これぐらいでちょうどいいと感じています。
SNSやYouTubeを見ると「JEPI、JEPQなら○○千万円突っ込めばもうFIREできる!」といったものを見かけますが、個人的にはどうかと思います。耳目を集める内容にすることでPVを稼ぐのが目的なのかもしれませんが、そうだとすると危なっかしい。心からJEPIとJEPQだけでFIREすることをすすめているのなら、それもまた危なっかしい。極端な意見には反射的に距離をとりたくなるのですが、こういったケースはその最たる例です。
JEPIやJEPQは使いどころによってはとても便利なETFだと思いますが、「用法・用量は適切に」ですね。
日本酒
自宅では全くお酒を飲まない日がしばしばありつつも、飲む時は主にビールを飲んでいます。
理由は単純で日本酒より安いからですね。またどれほど共感してくれる人がいるかわかりませんが、ビールの空き缶の方が処分が楽だからです。日本酒の空き瓶は意外に捨てるのが面倒…。地域事情によるところが大きいでしょうが、私の住んでいるエリアでは空き瓶の捨て方に選択肢がほぼなく、結構手間と労力がかかります。一方ビールの空き缶はスーパーに行ったついでに、店の入り口で簡単に処分できるのです。
とはいえ全く日本酒を飲まないわけでもありません。自宅から車で30分ほどかかりますが、品ぞろえが抜群で価格も良心的な酒屋さんが見つかりました。そこでこれまで飲んだことがないけど飲んでみたかった銘柄(埼玉県の彩來、新潟県の山間など)を買ったりすることもあります。
あとは旅行先。FIREしてからしばしば旅行に出かけるのですが、こういう時は必ず日本酒を飲みます。先日奈良に行った際は「篠峯」や「風の森」を飲みました。
また季節が秋から冬へ向かっていく中、FIRE後の静かな夜に「複雑な味わいの日本酒が飲みたい」と思うことが増えてきました。
私が知っているそのような銘柄は次の3つ。
- 農口尚彦研究所
- 宮泉
- 高砂(而今と同じ蔵のもの)
なかなか定価で買えるお店が見つからないのが難点ですが、Amazonや楽天を使ってでも買ってしまおうかなと考えています。心穏やかで静かな夜に、一人でワイングラスを使って飲むこれらの日本酒は格別だと思います。
FIRE生活
自身の状況を説明してくれている『自由からの逃走』
FIRE生活という面では穏やかな日常が続いています。
- サラリーマンの頃の組織の論理に対する強い違和感、人間関係からくる疲れ
- 牧場時代の強い憤りや絶望感、時間的な逼迫
これらからは無縁の生活です。ある意味では望み通り。
とはいえ心の底から満足する生活かと問われれば「そうでもない」となります。
FIRE前の自分からすれば「なんて贅沢なことを言っているんだ」となるわけですが、実際そうなのですね。
私のこの状況を理解させてくれているのが、以前に記事でとりあげたエーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』です。
本書で指摘されている「○○からの」自由では不十分で、「○○への」自由こそが必要だ、という点。まさしくこれです。
私の場合は大きく括れば「仕事からの」自由こそがFIREに至る道筋となっていました。これは達成されました。ですがその後の展望はありません。「FIREして是が非でも○○をしたい!」ということがないため、そこで立ち止まってしまうわけです。
自分の中での整理はこうです。
「○○からの自由」はマイナスをゼロにする。「○○への自由」はゼロをプラスにする。
つまり今の私はマイナスがゼロになっただけの状態。恒常的な満足を感じるには、ゼロをプラスにしていく必要があります。
自分の現在の状況はこのように整理できているわけですが、焦ってはいません。
「せっかくFIREしたのに十分に満足できてないなんてもったいない。早くどうにかしなくちゃ」こんな風には思っていないということですね。
なにせ時間があります。亀のようなスローペースでも、少しずつ小さく試行錯誤していく中で、いつか「○○への自由」にハマるテーマが見つかればいい。そのように考えています。
そのために現在何をしているかというと、例えば次のようなことです。
- ひたすら読書(図書館&Audible)
- セミナーや講座への参加(無料のものばかり)
- コーチングを受ける(巡りあわせで)
- YeLLで”聴く”スキルの習得(コテンラジオからの派生)
読書メイン
メインは読書です。FIRE後、とにかくたくさんの本を読んでいます。そして、それがFIRE生活の今後を考える上で、なにかしらのカタチに間違いなくなるだろうという予感があります。
手応えをつかみかけている本は次の8冊です。
- 三木清『人生論ノート』
- 高橋祥子『生命科学的思考』
- 田内学『お金のむこうに人がいる』
- エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』
- V・E・フランクル『夜と霧』
- D・カーネギー『道は開ける』
- スティーブン・R・コヴィー『7つの習慣』
- ドラッカー『マネジメント』
セミナーや市民講座への参加
またセミナーや講座にも参加しています。といっても有料のビジネスセミナーなどではありません。県が主催する市民講座などです。
FIRE前にはこうした講座へ参加したことはありませんでした。というのも、時間や余裕がなかったのはもちろん、失礼な言い方かもしれませんが「なんだかレベルが低そう」だと考えていたためです。
しかし参加してみると、それがただの間違った先入観だったことがわかりました。思っていたよりも講座の内容は充実しており、参加者のレベルも高かったです。「市民」という大き過ぎる概念で括ることの雑さを痛感し、反省しました。
私が思うポイントは、「ある程度のレベル感を求めるなら、市町村ではなく県が主催するセミナーや講座が良い」というものです。
こうしたセミナーや講座ですが、参加すると何かしらは得るものがあります。参加しているその場では「今回はあまり得るものがないかも」と思っていたとしても、案外ふとした場面でその内容を思い出すことがあります。そしてそれは自分に些細な行動の変化をもたらしたりもします。
例えば図書館に行った時に、「そういえば前のセミナーで講師が安岡正篤の本は読んでおけって言ってたな」と思い出し、実際に借りて読んでみる。そうすると自分に響く内容があったりして、価値観がほんの少し変わり、少しだけ自分が行動的になる。こういこうとが現にあるわけです。
ちなみに先の読書の例で出した『お金のむこうに人がいる』の著者である田内学さん。この方の講演に、幸いにも先日参加することができました。講演の内容自体は著書の内容とだいたい同じです。ですが本人を目の前にし、具体的なエピソードを聞き、振る舞いや声のトーンなどからその人物像を感じとったりしていると、講演後には本を読む以上のものが自分の中に残っていたりします。本を読み、講演に参加してからは、明らかにお金を払う場面で相手(レジの人や料理人など)に感じることが変わりました。この本を読んだことがない人からすると理解しにくいかもしれませんが、本当に相手に対して「心からのありがとう」を感じられるようになります。そしてこういうことこそ、FIRE後に真に豊かに生きるには重要だと思うのです。
今回は以上です。最近は読書などいわゆるインプットが生活の中心になっているため、ブログなどアウトプットにはあまり意識が向かないのですが、たまに書いてみるとやはりいいですね。自分の中でも整理がつきます。とはいえ書き始めたら意外に長くなりました。一個人のとりとめのないブログ記事をここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。